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成田屋通信
2005年12月05日
入院日記26

入院日記が更新されました。今回の検査で陰性になった折のお話です。  今年の秋は雨が多く、病室の窓からは清々しい秋晴れの青空が見えない。天高く馬肥ゆる秋というが、異常気象なのだろう天は少しも高くない。が、馬肥ゆるは例年どおりである。
 そんなことを何となく冒頭の文章にと考えながら漠然と窓の外を眺めていると、扉にノックの音がして医師が入ってきた。
 「よかったですね。検査の結果、陰性になりました。」
 「そうですか、ありがとうございます。」
 「これで次の治療もいい方向になります。スケジュールは医師団との話し合いで決まるでしょう」と、言い残して病室を出て行った。
 「よかった」と、安心をしたが、私の中でそれほどの感激はなかった。
 というのは、点滴を開始して今回の陰性の検査結果が出た40日目の骨髄穿刺を受けた4、5日前、午前中に点滴を受けている時、体に変化があったわけではないが「あれ!今体の中で何かが消えた」との感覚に襲われた。
 神懸りになったような話で、私自身が信じられない。
 どちらかと言えば、こんな感覚は疑ってかかる性格である。
 薬の影響か、あるいは別の要因があるのではないかと考えてみたが、体から何かがスーッと消えていくような感触は説明ができない。こんなに確信のある感覚で体の中で何か起こっていると感じるのは、長期の入院でなんとか改善して欲しいとの願望がなせる業かとも思った。
 しかし、何も思わず考えもしてない時、突然襲ってきた感覚にただ驚いた。いずれにしても、今回まで口には出さなかったが、検査結果の出る前に陰性になっている確信のような感じが私にはあった。 
 自分の感情より、医師から告げられた陰性の吉報を早く家族に知らせようと家に電話を掛けた。電話に出たのは娘だった。
 「もしもし、いまお医者さんから話があって骨髄穿刺の検査結果が出て陰性になったよ。」
 「え、ホントよかった。よかった。よかった。万歳!ワーイワーイ!」と、全身で喜んでくれる姿が受話器から飛び込んできた。 予感があったとは言え、冷静になっている自分が恥ずかしい。もっと喜ぶべきことだと教えられた。
 「お母さんは?」
 「今出掛けているよ。知らせておこうか。」
 「いや、自分で掛けるよ。」
と電話を切り、携帯電話にかけて、この事を告げると、
 「よかったぁ〜〜〜。おめでとう!」
と、心から喜んでくれる。
 「これからどうなるの?」
 「まだ、お医者さんと詳しい話はしてないけれど、一番順調な方向の治療になると思う。」
 「それじゃぁ、良く聞いておいて。おめでとう。」
 不安から開放された時の嬉しさは、言葉では言い表せない喜びが湧いてくるものだ。家族の皆は私に対して不安らしき様子は少しも見せていなかったが、私自身の体で感じていたよい結果の感触は、痛みが他人には分からないように、家族の者には分からない。といって、不確かな感覚で感じていることは、家族に話せなかった。検査結果には戦々恐々の想いであったことは、家族の喜びの中で感じられ、みんなの喜びが私自身の喜びに転化していった。
 あくる日、海老蔵が病室に来て、陰性になったことを喜んだ。私も陰性になってほっとした。しかし、これからまだまだ完治に向かって大変な治療が控えていることを告げた。海老蔵も、これから映画『出口のない海』の撮影のために山口県の下関に行くとのことであった。お互いにがんばろうと約束をして、海老蔵は下関に旅立った。