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十代 市川團十郎
追贈された團十郎(1882〜1956)

 明治15年(1882)日本橋の豪商稲延利兵衛の次男として生まれる。

 慶応義塾を卒業後、九代目の長女実子の聟となった。

 九代目没後の明治43年(1910)、突然役者を志し、上方役者の初代中村鴈治郎を頼って巡業先を訪ね、ひそかに端役<はやく>で舞台を踏んだ。同年10月大阪中座にて、本名の堀越福三郎を芸名として正式に役者として披露をする(29歳)。

 大正6年(1917)11月、歌舞伎座で『矢の根』を演じ、五代目市川三升と改名(36歳)。

 素人が中年過ぎてから踏み込んだ役者修行だったから、所詮技芸に難があり、彼の努力にかかわらず役者としての評価はかんばしいものではなかった。しかし、つねに市川宗家としての権威を守り抜こうとする意欲と責任感を持ち、未曾有<みぞう>の團十郎空白期間、宗家としてなすべき役を勤める。

 『解脱<げだつ>』『不破<ふわ>』『象引<ぞうひき>』『押戻<おしもどし>』『嫐<うわなり>』『七つ面<ななつめん>』『蛇柳<じゃやなぎ>』などの埋もれていた歌舞伎十八番を次々と復活上演して見せたことが、特筆すべき業績であろう。

 昭和31年(1956)2月1日没(73歳)。

 告別式の当日、後継者の海老蔵(十一代目團十郎)が故人に十代目團十郎の名跡を追贈した。

テキスト:服部幸雄著『市川團十郎代々』(講談社刊)より
写真 :市川團十郎家蔵